宣言文Declaration

第4回大会 カトマンズ宣言・1991

21世紀に向かうアジアの宗教 Asian Religions Towards the 21st Century

我々は共に集った

第四回アジア宗教者平和会議は、美しいヒマラヤの山々に囲まれた古くからの平和都市カトマンズにおいて開催された。この大会にはアジアの全域から、十六の諸宗教、二十一ヵ国を数える三百名以上の代表、オブザーバー、来賓その他が参加した。

本会議には、この会議始まって以来十五年の歴史の中で初めて、朝鮮民主主義人民共和国、カンボジア、モンゴルからの代表団が新たに加わり、温かい配慮と友情をもって本大会に光彩を添えた。民族として南北に分断された朝鮮は、ここで同じ宗教者として再会を果たしたが、これは新たな希望と和解の始まりを画するものであった。

本会議に先立って、それぞれ青年、婦人、専門家による三つの会議が同時並行的に開かれ、その貴重な成果は、本会議に取り入れられて多大の貢献を果たした。

全会議を通じて青年、婦人の参加には、目覚ましいものがあった。彼らは常に、行動が第一であるとし、具体的な奉仕活動の大切さを強調してやまなかった。

「二十一世紀に向かうアジアの宗教」が、本会議の主題であった。それは、宗教の関心が未来志向的、行動志向的であり、平和への全体論的アプローチにあることを示すものであった。我々の見るところ、未来は可能性と危険性の双方を秘めている。脱工業化時代におけるハイテク情報化社会の到来によって、科学・技術は、人間の運命を左右し世界を変革する余りにも強力な手段となりつつある。核分裂および核融合、宇宙探索、遺伝子操作、臓器移植、人間の意識・無意識的心理面の操作などに関連して、極めて重大な倫理的道徳的諸問題が提起されている。それにもかかわらず、道徳的精神的発達は、遅々として進まず、科学・技術のそれに対応しかねている。まさにこの点においてこそ、宗教の役割が存し、このギャップを埋め、宗教信仰のいかんを問わず、万人によって共有され、二十一世紀の我々の生き方を導くような世界倫理を創造することが求められている。

我々は楽観的ではありえない。なぜなら、二十一世紀に至るもなおアジアに蔓延する人間の苦悩と環境の悪化は、世界のこの地域から根絶しえないだろうからである。とはいえ我々はアジアの人々に、人間の尊厳に相応しい人間存在を確保するためにあらゆる努力を傾けることを誓いかつ決意するものである。アジアの宗教は新たなる献身の普いと努力をもって、苦しんでいる人々のために語り、奉仕し、その傷を癒す業に励まなければならない。

膨大な仕事が我々の前にある。我々は人々の目を、差別、貧困、非識字、病気、飢餓その他の社会的悲惨や不正の現実と問題に向けさせ、正義、愛、和解の精神的基盤の上に立って、これらの解決に当たるよう彼等を力づけなければならない。より一層献身的に、社会的に疎んじられている人々や困窮者たちのネーズに仕えなければならない。婦人の地位および子供の権利に対して特別の顧慮が払われなくてはならない。我々は、色々な歴史的事情によって犠牲となった民衆の傷を癒し、彼等を新たな未来形成の新たなる担い手にしなければならない。

我々は共に語った

Ⅰ.宗教の対話と協力 -アジアにおける調和のために

アジアにおける生の調和を拡大するために、対話と協力は色々なレベルで行われなければならない。我々は、日常生活の機会を最大限に生かさなければならない。時折、思いがけず日常生活のある瞬間に、誤解や偏見が、より大きな調和の種子に作り変えられることがある。宗教の多元的存在をよしとする我々のアジア的考えかたを踏まえた対話の経験から言えることは、常に共通の地盤を追い求め、心を開いて新たな洞察を受け入れる必要があるということである。

対話と協力の中からまた、お互いのために、さらにアジアおよび世界の困難な状況のために祈りかつ慎想する責任が生ずる。アジアにより大きな調和を打ち建てようとするならば、我々の精神的求道の旅から得たものを、困難の中にある他者のために用いるのでなければならぬ。

今後の計画として、家のない青年たちへの社会的共同プログラム、アジアにおける通常兵器削減のための共同行動、調和を題材とする児童絵画展、万国宗教会議百周年記念に当たる一九九三年を「諸宗教対話年」とすることなど、色々な行事が考えられる。永続的調和が樹立されるように対話と協力を共にすることは、我々の栄えある責任である。

Ⅱ.工業化途上にあるアジアの開発と環境

二十一世紀に差しかかるとき、アジアは工業化と環境危機の岐路に立つことを我々は十分承知している。アジアは加速度的工業化を必要としているが、しかしそれは決して環境悪化という犠牲においてなされてはならない。工業化は、基本的ニーズを充足し、現代の科学的進歩に歩調を合わせることに資するが、だからといってアジアはそのアイデンティティを失ってはならない。農村は過疎化してはならない。都市は環境を食い荒らす怪物にならないようにしなければならない。アジアには豊かな人的資源がある。アジアの開発には、精神的道徳的開発が伴わなければならない。大多数のアジア諸国は、今あるなけなしの国家予算の六制を武器に使っている。平和の名においてこうした無駄遣いを止めさせなければならぬ。アジアは非核・平和地域たるべきである。

アジアの工業化・近代化は、「持続可能な開発」に基づくものでなければならない。それは、草の根レベルにおける民衆の参加によって遂行されなければならない。競争による自由市場経済が開発の鍵と言われるけれども、アジアがより多く必要にしているのは、協力や說得や土着的開発方法である。

ACRPは、オゾン層に穴が開いたというニュースを深く憂慮するものである。こうした大気の汚染は、惑星-地球そのものを危険にさらしている。環境倫理の普及と遵守を図らねばならない。

植林などを進める「グリーン・プロジェクト」がつとに開始されている。これを全アジアにわたって継続強化しなければならぬ。我々はACRPに対し、国連環境開発会議に協力し、「地球憲章」の作成に貢献することを要望する。それによって未来の地球に住む我々の子孫を安心させることができるであろう。

先進諸国(特にG7)は、開発途上国と富を分かち合うことを受け入れるべきである。技術移転の分野における協力がとりわけ要請される。ACRPは、アジアの加速度的経済成長に向けての「南北」対話に、然るべき役割を果たすべきである。「余りにも膨大な数のアジアの人々に食糧を確保するためには、人口増加が抑制されなければならないが、それは適正な方法で行われなければならない。

Ⅲ.人間の尊厳と人権

アジアには、根深い差別や偏見の態度が今なお見られるが、そうしたところでは、人権の認識にもまして、人間の尊厳についての自覚が、より基本的な大切さをもっている。とはいっても我々は、人権が、個人や集団をその非人間的状態から解放するたたかいにおける効果的な解放手段として大切であることを否定するものではない。

人間の尊厳は、人権の源泉であり指針である。そうでなければ、人権は権利を主張することにおいて、それに附随する義務や責任の観念を忘れがちとなるであろう。二十一世紀に向けて我々は自然と平和的に共存しなければならない。自然の尊重は、人間と自然との適切な関係の認識に基づくものであらねばならぬ。こうしたところから、動植物の権利という新たな考えが要求されるであろう。人権の観念は、ひとり人間にとどまらず、生物・無生物にも及ぼされるべきであろう。これに関連して、きれいな環境に対する未来世代の権利も強調されねばならない。こうしたより広範な人間その他の権利の解釈によって、我々はアジアにおける人間と自然の保護に、より周到に対処することができる。地球は我々の子供たちの家である。

よって、我々はアジア諸国とその政府に対して、国連の子どもの権利条約の批准及び実施を強く要望する。

Ⅳ.アジアにおける新たなライフスタイルと文化のための平和教育

宗教者は、人々、特に二十一世紀に向かう世代に対して、平和のための教育を行うべく建設的な協力をしなければならない。それをしないならば、科学・技術は人間性を圧殺してしまうであろう。戦争は人々の心のなかで始まるものであるから、平和の種子は人々の心のなかに蒔かれねばならない。

平和教育は、人生のできるだけ早い時期から始められるのがよい。今日では、幼児の頃から環境教育が平和教育の一環をなすべきである。平和教育においては、理論と実践が統一されなければならない。それゆえに、平和研究、平和教育、平和訓練は手を携えて行われるべきである。

平和教育は、学校教育及び学校以外の教育の双方に導入されなければならない。平和教育のプログラムは、幼稚園から大学に至るまでカリキュラムのなかに含められるべきである。家庭、社会、宗教団体など、学校教育以外の場でも、平和教育のための絶大な可能性がある。

平和のための教育の実を上げるには、教師の教育が極めて肝要である。平和教育過程にとって格好の訓練の場となるのは、祈りの集会、討論会、セミナー、合宿、交流計画、クラブ、協会といったグループ活動である。マスメディアは、平和の理念を普及するための強力な手段である。家庭志向型のライフスタイルは、平和教育の基本である。ACRPのメンバーは、質素な生活と高尚な思想の模範的ライフスタイルを身に付け、美意識を遣い、平和のために役立つものとならなければならない。ソウルのACRP平和教育センターが、平和の教育と訓練に関するガイドブックを作成されるよう要請する。

平和教育のプログラムについて、ACRPと各国委員会の間に絶えずコミュニケーションが密に行われなければならない。平和教育・平和訓練の専門家や研究者の皆起とNGOの動員が切に求められる。

国際的交流・異文化間交流は、平和教育にとって不可欠である。これを推進するためにACRPの各国委員会に対して、文化の部局を設けることを奨励する。

我々は共に祈った

我々は、パレスチナ人民の問題が解決されるよう、現在進行しつつある中東和平会談の成功のために切に祈る。平和と調和の新時代が近く到来することを我々は望む。

我々は、ネパールの人々、特にラパンに対して、その心温まる微特に深く感謝するものである。我々はまた、ビレンドラ国王及びアイシュワリア王妃に対し、会議へのご臨席、そして特に陛下から示唆に富むメッセージを賜ったことを深く感謝する。我々はネパールの民主化過程が益々促進されることを望む。
我々はアジアの宗教者に対し、宗教間の対立を友好的に、そして愛と調和という全ての宗教の持つ最善の原則に従って解決されるよう強く訴える。

この会議を通じて我々は、宗教に課せられた務めと責任を益々明確に認識するにいたった。宗教が与える霊的洞察と叡智は、今後我々が直面する困難な課題に立ち向かうときに、又とない貴重な資産となり資源となるであろう。我々宗教者は、平和のための謙虚な働き手となることを希望する。

この会議で採択された提案や決議を忠実に実行すべく、我々は会議終了後直ちに平和のための行動を起こす所存である。

本大会が、宗教間の理解と協力の新時代を告げる新たな幕開けとならんことを!大いなる平和と霊性の新世紀に向かって進むビジョンと勇気が、我々に上より与えられんことを。