宣言文Declaration

第6回大会 ジョグジャカルタ宣言・2002

アジアの和解と協力 Asian , The Reconciler

前文

第六回アジア宗教者平和会議(ACRPⅥ)は、インドネシアの古都・ジョグジャカルタで、二〇〇二年六月二四日から二八日まで、『アジアの和解と協力」をテーマに開催された。アジアのすべての主要宗教、すなわちバハイ教、仏教、キリスト教、儒教、ヒンズー教、ユダヤ教、イスラーム、神道、シーク教、道教、ゾロアスター教などの宗教者合わせて五〇〇人が、二一の国と地域から集った。

残念なことに、大会は昨年九月一一日のテロ攻撃のために延期を余儀なくされた。我々は、ありとあらゆる種類のテロを、いかなる理由があれ、絶対に許すものではない。

アジアには、人々を隔てる多くの分裂と紛争が存在する。我々宗教者は、これまでの五回の大会、シンガポール、ニューデリー、ソウル、カトマンズ、アユタヤで、貧しき者、抑圧された者、そして権利を奪われた者の側に立つことを確認してきた。宗教者は中立ではありえず、このようなアジアにおける多くの苦しむ人たちと連帯し、我々は彼らの権利獲得、不正や抑圧からの解放と、それぞれの人間の尊厳に根ざした人間中心の開発に向け、我々にできることを続けていく。

紛争と対立、抗争と抑圧によってアジアの苦しみは続いている。あらゆる地域で核さえも含んだ軍事化が進み、専制化の傾向にある政治権力は、一層の軍事化と剥奪の悪循環をひき起こしている。このようなジレンマのただ中で、我々はジョグジャカルタに集い、今も続いている戦いに立ち向かうため、霊的な力と宗教的洞察を模索した。

我々の間には相互理解と他の宗教に対する尊敬が醸成されている。これは正しい方向に向けたまさに大きな一歩である。そして、アジアと世界における平和と調和の基盤となる相互理解と尊敬を伸展させるために選んだ歩みをさらに進めようと、今、決意した。この分極化と不調和の時代において、対話を促し、平和と調和、安全、平和的共存を約束する多様性に対する真の尊敬を支持し、確立し、さらに希望と和解の新たな時代を創造していくことが我々の課題である。

アジアの現実

人間が悲惨な状況に置かれているただ中に、我々宗教者は集った。アジアの至るところで激しい苦痛が反響している。人権を侵害された人たちの嘆きの声は耳に届かない。そして、人間の尊厳には注意が払われていない。社会正義は深刻に受け止められておらず、暴力と対立はあまりにも容易に生み出されている。アジアでは、悪循環は差別、不平等、剥奪、暴力という形をとって現われる。これらの要因は複雑に絡み合いながら、アジアの至るところで堪えがたい社会状況をつくり出している。それぞれの要因は、相互に関連する他の問題を論じることなく、取り組むことはできない。我々は、スリランカにおいて着手された和平プロセス並びに、南北朝鮮間で交わされた「六・一五共同宣言」を高く評価する。我々は、インドとパキスタンの間に緊張関係があることを認める。我々は、核兵器が背後にあるインド・パキスタン間の緊張状態に深く憂慮の念を表明する。我々は、平和的解決のなされることを強く提案し、双方が軍事力の行使の段階から引き下がることを要請する。

アジアの霊性

アジアは世界の偉大な宗教の揺りかごである。人間に高度な性質を吹き込む霊性は、アジアには満ちている。表現の方法は宗教により異なってはいても、霊性は、我々を一つに調和させる力である。

アジアの霊性は、時にアジアの現実に対する超越的な無関心や現実逃避に私たちを導くことも多く、これが、特別な意識もなく現状をそのままに放置する原因ともなってきた。我々が共通の祈りや証しにより、復興させようとしている霊性は、弱者に力を与え、絶望の中の希望となり、憎しみの中に愛をもたらす。霊性は、それによって活性化された人々の救いや奉仕の行動に向けられるべきものであり、それが本物であるかは、人間らしさを構築する新たな力によって試される。

以上のような観点から、この第六回アジア宗教者平和会議のテーマ『アジアの和解と協力」は、ACRPという大会に適切で重要なポイントを新たに付加したものと言える。今大会における五つの研究部会では、以下の問題について深く討議を行った。

 1 平和的共生のための和解―――軍縮と安全保障
 2 公正な持続的開発のための和解―――経済開発と環境
 3 いのちを尊ぶ共同体のための和解――人間の尊厳と人権
 4 調和ある家庭のための和解―――女性、子ども、男女協力
 5 平和の文化を育てる和解―――平和のための教育と奉仕

研究部会では、人権侵害や人間の尊厳の否定、資本主義あるいは社会主義から生じた経済問題、女性・子供の虐待、一般市民のニーズに基づいたものではなく権力を有する支配層の利益に偏った変則的な教育制度などといったさまざまな問題を解消していくことが提言された。教育の推進、環境保護、「自然資本」の開発、市民社会ネットワークの国際化なども提案された。

人権に対する認識が進み、アジアの多くの国でさまざまな委員会が設置されているにもかかわらず、人権は侵害され、社会の中で弱い立場に置かれた、差別された人々、女性や子供が、最も虐げられている。

研究部会では、平和教育、また一般教育を促進していくことの必要性・重要性が強調された。さらに宗教指導者に対しても、平和の大切さを心に刻み、暴力やテロリズム、戦争に反対する教育を施すことが提案された。

すべての親は、家族と社会に対する責任を負っている。適切な教育、そしてよい家庭環境により、子供たちは貴任ある市民として育ち、平和、調和のために働き、平和や社会の発展に必要な責任ある態度を涵養することができる。

平和の文化を育てる教育

平和のための教育が、かつてこれほど切迫して必要であったことはない。宗教者として、我々は、寺院や教会、モスク、シナゴーク、そして家庭における教育を通して、それぞれの宗教伝統の中で平和を建設する基盤を強調し、社会における認識を高揚させることを誓う。そのため、平和教育プログラムに対する計画や訓練、また資金が我々には課せられる。行動する宗教者として、我々は、個人の生活と平和の建設者として我々のより広い活動における日々の選択を慎重に結び付けていかなければならない。

我々は、宗教施設で、学校・大学で、新しい平和教育のための新たな取り組みを応援する。我々は公共生活、共同体の中で、軍拡競争の現実、地域紛争が戦争に発展するということを理解し、議論し合わなければならない。そして、武力によらない紛争の平和的な解決のための手段や戦術、国連や関係機関の役割についても、理解し、語り合わなければならない。

平和教育の本質は、共同体や国家、世界に共に暮らす人々の異なった宗教、イデオロギー、文化を学び、理解することである。多くの場合、暴力や紛争の対極に知識がある。恐怖を信頼へと変えていくために、教育に向けた努力は欠かせない。我々は、継続的な対話と共通の活動を通じて、相互理解をさらに強固で深いものにしていかなければならない。

マスメディア

コミュニケーション技術の急激な発達に伴い、マスメディアは、知識や情報を広めていく上で有用な、強力な道具となってきた。同時に、マスメディアは道徳の退廃につながる有害な道具にもなり得る。マスメディアを人道にかなうように活用するため、宗教の責任において、倫理基準を与えなければならない。現代社会において、マスメディアは多数の人々を、またグループとグループ、国と国を結び付けることができ、そのため、より容易に、密接に人類の共通の運命と連帯意識が形成されているのである。

研究部会、女性部会、青年グループからの提言や会議に参加した宗教指導者たちからの意見に鑑み、紛争の結果から生じた暴力、緊張、テロリズム、戦争といった問題を含む、多くの問題に対処するために、適切な措置を講ずる必要性が指摘されている。

問題解決に向けた取り組みとして、以下のような提案がなされた。

「アジア宗教・文化比較研究センター」を設立し、アジアの人々の相互理解を促進する。これは、独立した機関であり、ACRP事務局の直接の管理・監督のもとに置かれる。

青年交流計画に着手する。

人権問題、特に生計手段、開発に対する人々の権利に高い関心を示し、人権擁護に向けた研究に着手する。

女性と子供に影響を及ぼす情報を収集し、多くの国に存在する差別や抑圧といった問題に取り「組み、女性と子供の権利を守る。

アジア各国に存在する差別された人々、人種的少数派にかかわる諸問題を研究する。

ACRPを和解と親善のための道具とし、インド・パキスタン紛争、スリランカ、ネパールでのテロリズムと民族紛争の拡大、朝鮮半島の南北分断といった重要な問題において、緊張を和らげ、問題解決に役立てていく。

ACRPとして、アメリカの宗教指導者やヨーロッパ宗教者平和会議(ECRP)の代表との協議・対話の場を設け、昨年九月一一日の米国同時多発テロ、核拡散、政府による暴力・武力の使用等の問題に関して意見を交換し合う。

我々は謙虚な気持ちで、人類同胞のために、我々がより価値のある、有益な存在であるよう、神仏から力を授けられることを願う。

どうか我々の平和の願いと祈りが現実のものとなり、この場で示された一致の精神と献身が、さらに深まってまいりますように。